アルプスだったら、アイスマンの出来上がりですな。
登山家が山へ登るのは、「そこに山があるから」です。これがスキー中毒者の場合、「そこに雪があるからだ」となるでしょう。
昨日、谷川岳の一ノ倉沢の地形図を見ていると、その南隣にマチガ沢という谷があって、その谷の雪渓でスキーをやっている、変わった人がいたなあと思い出しましてね。その人が自分のブログで、そう報告していました。黄色で塗ってある谷がマチガ沢、その北側に一ノ倉沢があります。
雪渓というやつは、小規模な氷河と言えなくもありませんで、上からは普通に雪が積もっているように見えても、内部に空洞ができていたり、あるいはクレバスが隠れていたりして、個々の雪渓の様子を熟知している人に案内してもらわないと、そういう空洞にスポっと嵌まる危険があります。そうなったら、何年か後に冷凍人間になって見つかりますよ。(笑)
プライバシーの問題がありますから、マチガ沢で滑った人のブログのアドレスなどは、今回載せないことにします。この人、どうも先達に案内されてマチガ沢で滑ったようなので、全くの素人だけではなかったようですけど、まあ無謀なことをするもんですな。
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数年前に雪かき用に買った小型の鶴はしが、その後東京でほとんど雪の降らない年ばかりで、今のところ無駄な出費になっています。これ以上温暖化が進むと、東京にはもう雪が降らなくなるかも知れません。
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そりゃ、辛いっすよ。
福島県三春町についてのウィキペディアのページを見ていましたら、何年か前に亡くなった登山家・田部井淳子氏が、三春町の生まれであることを知りました。田部井さんの画像をここに貼ると、肖像権の問題がありますので、ご興味のある方は下記のURLへお越し下さい。また、田部井さんの登頂歴は公然たる事実ですので、ここでご紹介にも及びません。
ウィキペディアに、その田部井さんの言として、「1969年冬に登った谷川岳一ノ倉沢凹状岩壁は、エベレストよりもつらかった」と記してあります。谷川岳一ノ倉沢は、登山をやられる方ならご存じかも知れません、こういうところです。
一ノ倉沢
ある人の案内で、「一ノ倉沢の雪渓を歩こう」という企画に参加して、この雪渓の上を歩いたことがあります。1993年のちょうど今頃のことで、30年も経ったんですねえ。
現地でこの絶壁を見上げた時、「こんなところを、目的も無しに登るヤツはバカだ」と思いましたし、その考えは今でも変わりません。まあしかし、人間なかなかバカになりきれるもんじゃありません。その意味で「スゲえもんだなあ」と思いますよ、登山家てえものは。
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この写真を撮った時点では全く知りませんでしたが、田部井さん、この小学校の卒業なんだそうで、まあ、だから何だって訳じゃないんですがね。
現代の「川留め」かもしれませんな。
6月に日本本土へ接近する台風って、あまり記憶がありません。自然現象なんだから前代未聞でもなかろうと、ザッと調べただけでも一つ、昭和38年の6月上旬に日本へ接近した、台風2号というのが見つかりました。もちろん、今回の台風と全く同じコースじゃありませんけど、大雑把に言えば、似たようなことが過去にも起こっている訳です。
新幹線が早々と運休を決め込んで、乗客を「流浪の民」にして放り出そうなど、JR東海のやり口も人道的に問題がありますな。「新幹線ホテル」を用意するくらい、「アタボウ」ではないかと思いますがね。
追記:上のヤフーニュース(オリジナル記事は京都新聞)は、新富士駅での出来事です。一方、下の読売のニュースによると、東京、名古屋、新大阪の3駅に「新幹線ホテル」を用意して、「流浪の民」になりかけた人たちを収容したようです。新富士駅の人たちは、結局どうなったんですかね。

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臆面もなく、やってくれたもんですな。
この間、ティナ・ターナーが亡くなりました。83歳だったそうです。お悔やみを申し上げます。
そのティナ・ターナーと、「It's Only Love」でデュエットしたブライアン・アダムスが、たしか1988年春に公演で来日した際、フジテレビの「夜のヒットスタジオ」にゲスト出演して、曲名が何だったかは忘れましたけど、堂々と口パクをやってのけたのにはガッカリしました。
ブライアン・アダムスの声は、ライブよりレコードの方が聞きやすい、ということはライブ向きの声じゃないんでしょうな。下に貼り付けたURLのライブで、ティナ・ターナーと共演した時の彼の声は、「風邪でも引いたのか?」と思うほどです。
そのブライアン・アダムスの堂々たる口パクと同じ頃、我らが小比類巻かほるの歌う「city Hunter 〜愛よ消えないで〜」が、某動画サイトにアップしてあります。まさか、彼女は口パクなんかやらないと思いますがね。
今思うと、レコードよりライブの方がいい声している人って、珍しくもないんでしょう。小比類巻も、そういう歌手のうちの一人だと思います。
昔のブラウン管テレビでも、口パクをやると一発でバレるもんです。歌番組でのブライアン・アダムスの口パクを、同時に見ていた私の友人と数日後に顔を合わせた時、「あいつ、口パクやってたよ
な?」と確認し合いましたのでね。
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数年前に無くなってしまった、綱島の某日帰り鉱泉の無料宴会場です。カラオケが置かれていて、誰でも自由に使えますので、売店で色んなおつまみと酒を買い込んで、この無料宴会場で飲食しながら歌い放題でした。こういうところでは、口パクなんぞやる必要もありませんな。
「気さく」も過ぎると「乱暴」になるかも知れません。
うちから少し遠いところにあった、某とんかつ店です。最初に行ったのは強い雨の晩で、濡れネズミになった私を女将さんが見て、「まあ、ずいぶん濡れちゃったわねえ」なんて言いながら、「お客さん、うちは初めてよねえ」なんて話しかけて来ましてね。
この店は、「本当の下町」じゃないんですけど、「下町的」な古い商店街にありますので、東京以外の生まれの人が、店の人とお客が初対面でもポンポンやりあう様子を見れば、「従来のイメージとは違う」と思うかも知れません。
東京人でも、特に年寄り同士の場合は、お互い見ず知らずでも「気さく」に話すことが多いですね。井戸端会議や床屋政談の延長なんでしょう。
しかし、本当の「江戸っ子」というのは、イメージされるように乱暴で喧嘩っ早い訳ではなくて、むしろ「ニコニコして、ヒトとトラブルを起こさないものである」と、元同僚で「江戸っ子」のSさんが言っていました。Sさん、生まれは上野でしたかねえ、20数年もお会いしていません。
要は、狭い長屋で我を張り合えばトラブルになるので、どちらからともなく、自然に遠慮しあうのが本当の「江戸っ子」であって、「てやんでぃ、ベラボウめ」なんていうのは「本物」じゃないそうですよ。

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この店も一、二度入ったきりでご無沙汰していたら、「コロナ元年」に閉店したらしいです。
美しい国の有様ですな。
今日の午前中、東急東横線の日吉駅付近で、二度にわたってレールから煙が上がったとかで、午後までダイヤが乱れました。
電車のレールには、元々電流が流れているんだそうです。そのレールから煙が上がったということは、規定量以上の電流を流したか、あるいは事故のあった部分で、何かの原因で抵抗が増したんでしょうねえ。
何にしても線路から煙が出たなんて、聞いたことがありません。東急は事故の少ない会社、という評価も過去の話になったようです。また似たような事故を起こさなきゃいいんですがね。
一つの路線に、違う会社の電車をいくつも走らせているんですから、何かしら歪みが出そうなもんです。東横線の場合、東急、横浜高速鉄道(←中華街へ行くやつ)、東京メトロ、東武、西武と来て、この3月に相鉄とも乗り入れですから、6つですよ。
先週は、小田急線の電車の運転席から煙が上がって、新百合ヶ丘あたりで停まったとかいうニュースがありました。こうなると、電車に乗るのも命がけですな。

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静岡市の清見寺は、東海道線の開通工事の際、境内の一部を鉄道用地として「自主的に献納」したようです。ネットでちょっと調べたくらいでは、それ以上分かりませんけど、圧力はかかったと考えるのが自然でしょうね。
浜松でだけ、店を出しているようです。
JR浜松駅構内に立ち食いそばがありました。土地柄というかお国自慢というか、ユーモラスに思えたのは、お品書きの看板の隅に描いてある「侍ライダー」です。ご存じのように、浜松はオートバイに縁の深い土地ですのでね。
オートバイに乗っている侍は、家康ですかね。まげの形は江戸時代のものでなく、戦国時代のドラマでよく見るタイプで、「茶筅まげ」というようです。
こういう「ゆるキャラ」でもあるのか?と思って検索しましたら、浜松には「出世大名家康くん」というのがあるそうです。ただ、下に写る「侍ライダー」とは違うようで、「家康くん」の袴の柄がピアノの鍵盤になっています。これもご存じのように、浜松には有名なピアノメーカーがありますので、地元産業に引っ掛けているんでしょう。
旅先で立ち食いそばを見つけると入らずにいられないのは、記念のスタンプみたいな感覚で、「ああ、あそこでも食ったぞ」という確認なんでしょうな。

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写っている蛍光看板の店名がイラスト調で読みづらく、いざ店名を調べようというとき、手間を食いました。自笑亭というようです。
「昔は人が車を引いてたぞ」
2017年に亡くなった三遊亭圓歌(三代目)さんが、持ちネタ「中沢家の人々」で、「芸能人」から参議院議員になった野坂昭如氏や野末陳平氏に、「なんでオメエたちねえ、参議院議員になりたいの?」と訊いたところ、彼らが「赤い絨毯の上を歩きたい」と答えたので、「そんならお雛様になりなさい」というジョークをかましています。
この「中沢家の人々」、ちょっと長いですけど面白いと思いますので、URLを貼り付けておきます。もしよろしければ、お時間のある時にでも、どうぞ。前に出た「赤い絨毯」の下りは、15:00あたりから始まります。
下の写真は、圓歌さんが修行中に心筋梗塞で倒れた、身延山久遠寺の奥の院です(←圓歌さん本人の言い方に従うと、「倒れた」でなく「ひっくりケエった」となります)。日蓮が、遠く房州の父母を思って、「思親閣」としたんでしょう。
「赤い絨毯」で、ピンと来た方もおられましょう。某首相一族による公私混同の一件です。「国民のみなさんの不信をかうようなことであるならば・・・」とは恐れ入りました。買わない訳がないじゃありませんか。不信だけでなく、ヒンシュクも買いますな。

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親が子をつぶし、子も親の体面を傷つけていながら、全然その自覚がないんですから、つける薬がありませんな。
空襲は、下町だけじゃなかったんですよ。
昭和20年5月下旬、東京区部の城南地区は、米軍B29の無差別爆撃(←歴然たる戦争犯罪ですな)により、大部分が焼け野原になりました。私の祖父母一家は、現在「わが家」のある場所に当時も住んでおり、その家もこの「山の手空襲」で丸焼けになりました。まあ、あばら家だったことでしょうが。
時代は下がって、今から20年前のちょうど今頃、改築のため、基礎のコンクリートを打とうと土を掘り返してみると、「焼けぼっくい」が出てきたと建設会社の人から聞きました。空襲で焼かれた「わが家」の建材でしょう、そのまま土を被せて家を建てちゃったんでしょうな。
うちの近所に、空襲を直接体験したとか、間接的に聞いて知っているとか、そういう人はもういないでしょうねえ。戦後に越して来た人が圧倒的に多いし、爺さん婆さんと一緒に暮らしていても、空襲の話など聞かなかったかも知れないし、聞いても忘れちゃうでしょう。
今度、戦争なんてことになったら、焼夷弾じゃ済みません。東京もミサイル一発で壊滅するでしょう。ミサイル防衛システムなんか土台無理な話で、点を捕らえるのには面をもってする以外ないでしょう。魚や虫を獲る時には網を使いますよね。
山の手空襲の話じゃありませんけど、死んだ祖母が、東京多摩地区の「立川に爆弾が落とされると、(その爆発で)うちまでグラグラ揺れたもんだ」などと言っていたのは、今でも信じられません。多分、立川飛行場(今の国営昭和記念公園)などの軍事施設へ、焼夷弾でなく爆弾が落とされたことを言っていたんでしょう。
それにしても、うちまで揺れたというのは、どうもねえ。川崎あたりへ爆弾が落ちたら、揺れが伝わったかも知れませんけど。

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今は、木造家屋でも基礎にしっかりコンクリートを打って、その上に家を建てますけど、前のうちの家など、その基礎コンも貧弱なもんでした。昭和30年代に建てた家など、みんなあんなもんだったんでしょうな。
もつ煮は、さすがに家で作れませんねえ。
昨日の記事を読み返してみて、自分でも何を言っているのか、よく分からない部分もありますので、改めて考えてみました。一口に言うと、「事実だけを示しておいて、あとの評価は世間に任せればいい」ということでしょう。
昭和何年頃、どこそこの中華屋で、カツ丼が一杯いくらしたとか、ラーメン一杯いくらだったとか、それだけに留めておけば、誤解もありませんのでね。それを高いと思うか、安いと思うか、皆様ご自分の体験に照らして頂ければ幸いです。
ですので、店のメニューを撮っておくのが好きなんです。
それはそうと、鳥もつ煮はいつから甲府名物になったんですかね。こうしたものは意外に、現地よりも東京で食べた方が、味はともかく値段が安かったりして腹立たしいんですな。スーパーは、食材を一度にドンと仕入れて作るから、安く上がるんですかね。
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これも、過去記事からのサルベージでして、記憶では2010年の冬に撮ったものです。毎度のことでデジカメ画像なら、自動的に撮影日時が記録されるので、考える必要もないんですがね。